はじめまして。
家族で幸せな生き方を見つけるカウンセラーの高橋和美です。
「学校に行きたくない…」「学校に行きたいのに行けない…」で
苦しんでいる子どもたち
子どもの不登校を見守りたいのにイライラしたり辛い思いをしている
お父さん、お母さんに向けてカウンセリングをしております。

私は、夢であった看護師にもなり
主人が転勤するたびに私も新しい職場で仲間にも恵まれて
充実した日々を送っていました。
結婚して2年間は子どもができずあきらめかけたら
妊娠がわかり待望の赤ちゃんに恵まれて
長女が生まれて3年後に長男が生まれ私は2人の子どもに恵まれました。
息子の知的障害が発覚し、順風満帆だった日々からイライラが募る日々へ
息子が5歳の時に生まれつきのてんかんであることがわかり
痙攣発作の対応に追われながら小学生にあがると
知的障害であることがわかりました。
私は看護師でバリバリ働いていたので
やりたいことが思うようにできなくなってストレスを感じて
些細なことでもイライラするようになっていました。
日々の生活が一転して娘にも我慢を強いる日が続きました。

娘との時間を優先にしたかったのに…障害があるとかないで娘に完璧を求めてしまっていた、ごめんね
息子のケアでいっぱいいっぱいになる毎日のなかで
できるだけ娘との時間を優先にしていきたいと頭では思っていました。
だけど、時間に追われる私は娘に優しくない母親だったのです。
夜寝るとき、息子がてんかん発作を起こしたときに気づけるように
私は息子の方を向いて寝ていました。
それは娘には背を向けて寝ているということでした。
優しくしてあげたいという気持ち
寂しい思いをさせてしまってごめんねという気持ちの
裏腹に娘ができないことがあるとイライラしてしていました。
心の中では「障害を持っていないのだから、自分のことは自分でできるでしょう!」
という気持ちもどこかにもっていたのかもしれません。
娘に完璧を求めていたのかもしれません…。
まだ小学低学年の娘に「弟の方が大事なんでしょ!!!」
と言わせてしまっていました。
こうならないために、第1に娘を想っていたのに…。
ごめんね。ごめんね。と思う日々でした。
引っ越すことでやっとワンオペの子育てから解放されるとホッとしたのは束の間でした
家族にとって1番いい選択は何か?
転勤の度に土地を変えることやワンオペ育児の限界もあり
両親や主人の両親もいる地元に引っ越しを考えるようになりました。
主人の仕事は毎日終電で帰宅するほど多忙な毎日でした。
朝の隙間時間での貴重な会話で少しずつ話し合いを進めていきました。
そして、娘に相談しました。
当時5年生の思春期真っ只中でした。
反対しても無理はないなぁと思いながら
「お友達と離れることになるけどおばあちゃんたちと暮らさない?」
と聞いてみたら「広島に帰ってもいいよ。」と言ってくれました。
これで引っ越しが決定しすべてがうまく回っていくと思っていました。

思春期真っ只中での転校「大丈夫」なはずないのに…なんで気づかなかったんだと後悔を繰り返す
6年生での転校でした。
転校生という目で見られるのは当然です。
しばらくは「学校どう?大丈夫?」と聞いてはいたけれど
「大丈夫だよー」
と明るい返事が返ってきていました。
転校して数日で友だちを家に連れて来たりすることもあり私は安心していました。
息子のてんかん発作が環境変化により誘発される危険性があったので
主治医の先生の指示で登下校はしばらく私が見守りで
少し後ろを歩く形で付き添っていました。
娘の登校の様子も見ていましたが、普通に登校していました。
のちにわかったことですが
目が悪いことが原因で、目つきが悪い=にらんでいると勘違いされて
なかなかクラスに馴染めなかったようです。
私を心配させないように「大丈夫だよー」って気丈に振舞ってくれていたのです。
転校生というだけで負荷がかかるのに
私に気を遣わせてしまっていたことに気づけなくて
中学生になり感情が少しずつ不安定になって
中2の冬頃から特に反抗的な態度が強くなりました。
自分の部屋にこもったり、強い口調で言い返したりすることもありました。
それを思春期とひとくくりにしてしっまたことを後悔しました。
思春期だし、ホルモンのバランスも崩れることもあるから仕方ないね。
私も中学生の頃はよく親に八つ当たりしていたもんね。
と自分の学生時代と重ね合わせて様子をみていました。
私が正当な理由をつけて安心したかっただけなのかもしれない…

中2の冬に事件が!!!まさか警察のお世話になるなんて…無事なの!?ハラハラする時間を過ごしました
しかし、中2のバレンタインデーの日
「お友達にチョコレート渡してくるねー」と言い
17時頃家を出た娘はその日帰ってこなかったのです。
娘の机の上には1通の手紙が置いてありました。
その手紙には…「探さないでください」と書いてありました。
家出をしなければいけないくらい追い詰められていたのです。
近所中を探し周り、警察にも連絡して探してもらいました。
警察から「新幹線の防犯カメラに写っているのが娘さんですか?」と写真を確認して
確かにそこに映っていたのは娘でした。
娘は、新幹線で関東方面に行こうとしていました。
無事に警察に名古屋で保護され、迎えに行くと心は完全に閉じていました。
虐待も疑われ全身チェックがされていました。
叱るというよりも無事でいてくれたことに心からホッとしました。
強制的にスクールカウンセラーを受けさせられ、私の心を癒すとは真逆の対応に呆れる
警察沙汰を起こし学校に連絡が入り学校の先生から
「帰宅後すぐに学校に連れてきてください」と連絡が入りました。
「スクールカウンセラーを受けなさい!」
ということでしたが、娘は断固として拒否しました。
「じゃ、お母さんがスクールカウンセラーを受けてください」
と、望んでいない時間を過ごすことになりました。
私もまだ状況が把握しきれていない状態で
初対面のスクールカウンセラーさんとの会話で起こった事実を話している最中に
学校のチャイムが鳴ったのです!
「はい!時間です。終わりです。私ともっと話したければ○○へ来てください」と…
え!!!
これが、スクールカウンセラーの現状なのかー
と心のサポートのプロに対しての対応に怒りを通りこして呆れたのをよく覚えています。
この時間、娘がこの時間を過ごさなくて本当によかったとさえ思いました。
娘は1番信頼していた先生とだけ話す!と決めて話しましたが
その時間はお説教の時間になっていました。
娘は、どんどん大人嫌いになって
どんどん心が死んでいく感じを私も感じました。
誰も話しを聞いてくれない…
誰も私を見てくれない…
そんな心境だったのだと思います。

試験だけは受ける!と吐きながら登校した娘のクラスメイトとにも先生の言葉にも怒りがこみあげてきた
家出をきっかけに学校に行かなくなった娘
それでも、試験は受けておいた方がいいと思った娘は
自分で登校する決断をして学校に行きました。
学校につくまでに何度も何度も嘔吐しながら学校にようやく到着しました。
そこで待っていたのは、クラスではしばらく休んでいたことは妊娠したからだ!
という噂が流れていました。
いてもたってもいられない娘はトイレに駆け込み涙を流し
落ち着かせて教室に戻りたんたんと試験を受けたそうです。
そして、登校だけでも精一杯だったことを先生に打ち明けた娘に投げかけられた言葉は
「吐きながらでも来れるのなら来なさい」でした。
ひどく傷ついて帰ってきました。
「もう行かない…」
クラスでの出来事も先生の対応にも腹が立った私は
主人を連れて学校に話し合いに行きました。

娘を守るのは私の役目だと思ったし
泣き寝入りする必要もないし言いたいことはきちんと伝えていいということを
私は子どもたちに背中で見せたいという気持ちでした。

TVのドラマのような出来事がどんどん現実に襲ってきて、どうしたらいいのかわからない状態
ドラマの中のような昼夜逆転しネット依存、部屋から出てこないひきこもり、自分を傷つけてしまうリストカットやアームカット
深い会話はLINEでしかできない…
昼夜逆転してネットに依存して、ネットの人とだけ会話する状態でした。
生きる意味をなくした娘からは毎晩のようにLINEが入ってきます。
「死にたい。人は何で生きるのか?生きる意味がわからない」
リストカットした写真も一緒に送られてきます。
これは、本当は死にたくない。助けてという娘の悲痛な叫びです。

それはわかるのに、私はどうしたらいいのかわからない。
優しく振舞ったり、厳しくしてみたり
ネットで情報探しまくってもこれといった手立ては見つかりませんでした。
スクールカウンセラーの経験から専門と言われている人に頼るのは
私自身が意味がないと思っていたのです。
このまま進むと…精神科病棟でみた光景が浮かんできます
何をしてあげればいいんだろう…無力さを痛感
精神科での看護師経験が10年あった私は
リストカットを繰り返す患者さんや大量の精神薬を内服して無気力な患者さんなど
たくさん見てきて心が病んでいったその先の姿がどうなるのかを知っていました。
この子の人生はいったいどうなってしまうのだろう?
信じてはいるものの今娘は苦しんでいる。
この苦しみを解放してあげられる術が私にはわからない。
そんな毎日を送っていました。
診療内科に行きたいという娘
娘から心療内科に行きたいという相談が来るようになりました。
「薬は飲まないけど、話を聞いてもらいたい。
カウンセラーさんがいるところに行きたい。
実は小学3年生の頃から笑えって聞こえる。
だからずっと笑いたくないのに笑って過ごしていた。」
うそー!!!
一瞬、統合失調症だったらどうしよう…と心配しました。
幻聴が聞こえるほど小さい頃から自分を殺させてしまっていたんだ…
障害を持つ弟がいることで
我慢させてきたんだと反省の渦が私に襲いかかります。
児童精神科が当時は少なく、やっと見つけた病院に行くことができました。
私がいない空間で話したいという娘の希望で
医師と娘の2人だけの会話の時間でした。
「ママがいないほうがいい」
これは、私への何かもあるんだなと察しました。
少し医師と娘の2人の時間が過ぎ
発達障害やアダルトチルドレンなどの検査が行われました。
結果は、発達障害はなく、アダルトチルドレンの傾向ありでした。
帰りの車中で
「話しを聞いてもらいたかったのにしっかり聞いてもらえなかった。もう病院には行かないから」と怒りをぶつけてきました。
待合室にはたくさんの患者さんが待っている状態で
一人の患者にだけ向き合う時間は医師にはないのは充分わかっていたことだけど
娘の望む時間ではかなったのです。
ここでも人を遠ざけてしまう結果にしかならなかったのです。

娘が本音をぶつけてきた!私は毒親だったんだ…よい母だという思い込みがガラガラと崩れていった
LINEで会話する中で、家出や今この状態になっている原因を私は探そうと
執拗に娘に聞いていました。娘自身もわからないのに…。
そんな中、娘の本音を知ることになる
「正論ばかり言わないで!そんなのわかってる!いつも正論ばかり。」
「ママとパパはなんで意見を1つにしてもってくるの?それぞれの考えを聞きたいのに」

ということを言われました。
この言葉でやっと私は自分をしっかり見るようになったのです。
私が常識に縛られて生きていて
自分が正しいと思うことを押し付けていたのだとわかりました。
毒親だったのです。そこからは向き合う日々が始まりました。

私たち夫婦だけの力では限界なんだ。やっと私も周りの人を頼ることを考え始めた
Facebookで素敵なカウンセラーさんの投稿を
しっかり読んでいたことを思い出しました。
でも群馬県の方で遠いという思い込みが無意識にあったので
カウンセラーをお願いするという視点になかったのです。
でも、このカウンセラーさんの投稿を欠かさず読んでいる自分がいました。
私が正しいと思うことをついついよかれと思って娘に伝えてしまって
今の状況だから、私たち夫婦だけではもうどうにもならないことがようやくわかり
このカウンセラーさんなら何か状況が変わるかもしれない。
このカウンセラーさんに頼んでみようという気持ちにだんだん変わっていきました。
人間不信になっている娘が会いたいというはずがないのもわかっていたので
LINEでの会話の中で少しずつこのカウンセラーさんのことを
時間をかけて伝えていきました。
半年くらいたった頃
「会ってもいいよ」
と、ラインにきました。

光が見えたカウンセラーの先生との出会い
このカウンセラーさんは家族カウンセリングで現地に来てくれるというスタイルでした。
義母にも参加してもらいカウンセリングが始まりました。

「娘さんが満足するまで話は聞きますからね」
という話が私にありました。
なんと‼
6時間もの間じっくり耳を傾けて寄り添ってくれたのです。
最後にそのカウンセラーさんが私たち大人に向かって言った言葉が
「娘ちゃんのどこが問題なのですか?ちゃんと育っているじゃない。」
「これからどうしたい?」
と娘の気持ちを最重要してくれました。
本気で向き合う姿をみた私は感動したのと同時に自分の生き方を見直すきっかけになりました。

未来に向かっていく決断をした娘を見て心からホッとできた瞬間
1年以上生きる意味を模索してきた毎日だったので
未来を見ていることが本当にうれしかったです。
家族みんなの前で
「娘ちゃんのどこが問題なのですか?ちゃんと育っているじゃない。」
この言葉を言ってもらえたことが
存在価値や認められたと感じることができたのだと思います。
この日の夜、娘から
「ママ、もう大丈夫だから、学校には行かないけど生きる。」

話を聞いてもらいたいと心療内科に行きたいと言っていたときから
求めているものはこれだったのです。
良いも悪いもなくジャッジせずに思いのたけを全部吐き出せる場だったのです。
一歩一歩焦らずに進む娘の姿に成長を感じ嬉しくなりました
娘は、太陽にあたることから開始し
少しずつ行動や意識の範囲が広がってきました。
隣の市の通信高校が不登校の中学生の居場所を作ってくれていたので
そこに週3通って人と関わること、体力をつけることを目標に
家から出る練習をしました。
学校に行かないけど勉強はしたいという変化が見られるようになり
オンラインでの大人数(生徒)対1(先生)勉強にチャレンジしましたが
中2の冬以降勉強していなかったのでついていけないという学習の壁がやってきました。
オンラインで1対1の学習もチャレンジしましたが
思ったように学びが進みませんでした。
家庭教師を試すと日常会話や寄り添ってくださる先生とのご縁があり
学習面も進むようになりました。
家庭教師の先生との出会いは中3の冬でした。
少しずつ自分の状況と向き合いながら、壁にぶつかりながらも未来に向かって模索していく姿は私自身もエネルギーをもらいました。

自分の人生を自分で決めて進めるようになった今、私はこの子の最大の応援者でいてあげればいい
進学や進む道は私からは何も言わないことにしました。
娘から通信制の高校に行きたいという言葉を聞くことができて
近隣の通信制高校は2つあり、どちらにするのか?も自分で決めました。
中3の冬にやっと出会えた家庭教師の先生とも目指すものが定まり
中2の冬からの1年間のブランクを2人3脚で進めてもらい
進学することができました。
それから3年後大学進学も一人暮らしも自分で決めて
現在は神奈川県で一人暮らしをしています。
大学生になった娘から
「私はいい親に恵まれたって本当に思うよ。友達の話を聞いてると壮絶でね。」
と言ってくれることもありました。

カウンセラーや心理講座で心の仕組みを学ぶ。あの時知りたかったー!と思うことがたくさんあります。
子どもたちの不登校経験や精神科看護を通して
心の仕組みをもっと学びたいと思うようになりました。
それからは夢中でカウンセリングやコミュニケーションについて学びました。
昔、私に愛にもいろいろな愛があることを教えてくれた人がいました。
その時は意味がわからなかったけど
条件付きの愛や無条件の愛がどういう意味なのか?
やっと理解することができました。
そして潜在意識に働きかけを学ぶとともに
不登校に至るまでの理由や解決するための心の仕組みを学び
娘にしてくれたカウンセラーの方が心から話を聴く、伝える、話し合うということを
実践を通して見せてくださったことが自分なりに理解できていきました。
この3つのコミュニケーションを意識することで
人間関係がすごくよくなります。
親が適切な対応や声掛けをすることで
子どもに愛情が伝わり、みるみる元気になっていきます。
また子どもの自立もうながされることを学びました。
夢であった看護師から第2の自分らしい生き方が見つかる
心のケアをしながらありのままの自分をまるっと受け入れるフリースクールで
やりたいことがみつかり追及できる居場所を作る!
という第2の夢が湧き上がってきました。
あのときカウンセラーさんに頼らなかったら…
心の仕組みを知らなかったら
娘も息子ももっとひどい二次障害を引き起こしていたかもしれません。
今の幸せな家族はありませんでした。

私たち親子と同じ思いをする人のために私の精神看護10年
2人の不登校育児、発達障害児支援6年の経験と学びがいかせたらという思いから
学校に行きたくても行けない・学校に行かない子どもたちの
心のケアと居場所を創る活動として
カウンセラーとフリースクール活動を始めました。
不登校30万人を超え、ひきこもり146万人に増え続けて
社会問題になっている現状の中で
学校に行けない本当の理由を見つけ出し
親も子も、罪悪感や不安や自分を責めることから解放されて
不登校の段階に応じた アドバイスで
家族で幸せな生き方を見つけられる人を増やしていくカウンセリングやマーブルの森のフリースクールを提供しています。
